本当は今日は『ダンボ』(2019)のレビューを挙げようかと思ったんですけど、これ観ちゃったらもうヤメですよ、ヤメ。
もうあまり『SW』関連で一喜一憂したくはないので務めて冷静になろうと心掛けていたのですが、結局仕事しながらシカゴのセレブレーション中継観ちゃったし、やはり精神的ダメージがでかい…。12月までまたこんな気持ちで過ごさないといけないのか。
2012年にディズニーがルーカスフィルムを買収して『スター・ウォーズ』の新作発表を開始したときから僕は『スター・ウォーズ』に対してネガティブな気持ちを抱き続けてきました。『フォースの覚醒』は激怒したし、『ローグ・ワン』は正直感動しちゃってゲームの『バトルフロントII』だって1年以上やってるけど、『最後のジェダイ』には呆れたし、『ハン・ソロ』にも相当怒りました。この6年間たかが映画の為に相当な感情の浮き沈みがありました。
そう、たかが映画なのになんで毎回こうも精神的にやられるんだろうか。考えてみたんですけど、僕には確かに『スター・ウォーズ』は人生だって言い切れた時期があったんです。それは小学校から中学2年にかけての凡そ8年間。休み時間に描く絵は『スター・ウォーズ』、友達と話す会話の内容も『スター・ウォーズ』、失恋した次の日に観た映画も『スター・ウォーズ』、家で遊ぶ玩具もゲームも『スター・ウォーズ』。
僕にとって明らかに『スター・ウォーズ』は映画を超えた何かでした。今は大人になって他にも色んな映画にも出会ったことで『スター・ウォーズ』への熱は大分冷めましたけど、当時こんなに夢中になれる世界観を作ったジョージ・ルーカスは差し詰め新興宗教の教祖様でした。もちろん、『スター・ウォーズ』を作ったのはジョージ・ルーカス一人じゃない。でも、麻原彰晃が消えたオウム真理教が迷走し分裂したように、ジョージ・ルーカスが去った『スター・ウォーズ』にはどうしても拒否反応が出てしまいます。大事な思春期が違う何かに侵食されるような気がしてしまうのです。
ちなみに今とても不謹慎な例を出しましたが、誤解を恐れず言うとTwitterでのファンの反応や日々起こる論争を見ても僕はもう『スター・ウォーズ』はカルトと一緒だと思っています。これは『スター・ウォーズ』に限らず、マーベルやDC、『ハリー・ポッター』など全てのファンダムに同じことが言えます。
だから、一番健康なのは公開日まで冷静にいることです。それは頭では分かってるんですど、やっぱりできないんですよね。また変に例えるなら、脱会した宗教団体の活動が世間を騒がせているのをソワソワしながら観ている感覚ですかね。なので、これは前にも書いたんですけど、今や僕は本気で『スター・ウォーズ』と出会わなければよかったと思っています。『スター・ウォーズ』ファンであったことは一生続く呪いなんだ。僕は『スター・ウォーズ』メンヘラなんです。