グレイテスト・象マン/『ダンボ(2019)』★☆☆

 1941年の同名ディズニークラシックをリメイクした『ダンボ』を鑑賞。監督は『シザーハンズ』『バットマン・リターンズ』のティム・バートン、製作・脚本は『トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン』『トランスフォーマー/ラストエイジ』のアーレン・クルーガー、音楽はバートン作品お馴染みのダニー・エルフマン。主演はコリン・ファレル、共演にマイケル・キートンダニー・デヴィートエヴァ・グリーンなど。

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  傑作の原作『ダンボ』(1941)については高橋ヨシキ氏が『暗黒ディズニー入門』にてほぼ完璧ともいえる論評を書いているので、是非ともこの機会に一読いただきたい。当記事も『暗黒ディズニー入門』を重要参考文献として扱う。なお、単行本収録前の未改訂版はこちらのリンクから読める。

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  高橋ヨシキ氏によると、『ダンボ』(1941)は「奇形と差別にまつわる物語」だ。生まれつき耳が大きなダンボは、文字通り大きな耳が足を躓かせてしまい、サーカスの笑いものになる。象の仲間からもバカにされ、唯一の心の拠り所としていたお母さん象もダンボを虐める子供たちを追い払ったがために「狂った象」として引き離されてしまう。

 

 そんなダンボを助けるのがネズミやカラスたちである。注目すべきなのは、ダンボを助けている生き物たちが世間的には嫌われている生き物たちであるという事だ。また、『ダンボ』に登場するカラスたちは明らかに黒人口調でしゃべり、黒人を思わせる衣装も来ているので人種差別的だと現代社会では非難の的になっている。しかし『ダンボ』は困っているマイノリティを同じ痛みが分かるマイノリティ達に助けられる物語なので、ここでカラスに黒人をカリカチュアライズしたのはむしろ差別とは全く逆の意図がある。

 

 こういった背景のある『ダンボ』の再映画化にティム・バートンが起用されたのはなるほど理に適っている。バートンは『ビートルジュース』『シザーハンズ』『バットマン・リターンズ』で散々異形の者たちやはみ出し者への愛を注ぎ我々を泣かせてきた監督なので、テーマ的に『ダンボ』のリメイクには打ってつけの人選に思える 。

 

 更に言えば、元々ティム・バートンディズニー出身のアニメーターでもある。里帰りして作った『アリス・イン・ワンダーランド』はバートンらしさはすっかりなりを潜めた影の薄い作品ではあったが、自分の好きなモチーフを詰め込んだ『フランケンウィニー』はバートンらしいゴシック的世界観で楽しかった。では、題材がうってつけの今回は自ずとバートンらしい作品に仕上がるのでは無いのだろうか、というのが観る前の僕の予想ではあった。

 

 『ダンボ』(2019)は原作と違い動物の世界で話は完結せず、人間たちをメインに描いて所謂「『E.T.』モノ」のフォーマットに落とし込んでいる。ダンボは物語早々に空を飛び、クライマックスでは人間を背中に乗せて飛ぶほど人間達との絆を深める。実写化する上では人間をメインに据えるのは当然のアプローチに思える。しかし、この脚色こそがリメイク版最大の欠点であり、どのキャラクターも台詞を喋れないダンボの代わりに状況を説明する記号以上の役割を果たしていないのだ。

 例えば、メインとなるダンボの世話をする子供たちは「ダンボの心情を説明する人たち」でしかなく、彼らの父親であるホルト(コリン・ファレル)は戦争で腕を失っているけれどそれがドラマ上で活かされることはほとんどなく「ただの良い人」でしかないし、マイケル・キートンに至ってはただの「悪い人」を演じている*1だけでV・A・ヴァンデヴァーのバックグラウンドも見えてこない。善人/悪役に限らずどの人物もダンボを助ける/利用する動機は見えて来ず、ただ物語を進めるための装置でしか無い。(ついでに言っておくと、ご丁寧にも物語に関わる重要人物は全員白人である。)

 

 更に、本作は単純にアニメーションの実写化としても問題がある。原作『ダンボ』は戦時中に作られた。そのため、なるべく予算を削減させた結果アニメーター達は線の数を減らしてディテールを削ることを求められたという。しかし、その分作画監督のビル・ティトラ率いるアニメーター達はダンボの動きと表情に力を注力したため、驚異的なダンボの可愛さが生まれたという。ところが、リメイク版においては実写に合わせるため当然逆にディテールを描きこんでリアルに寄せる作業が施された。これは『美女と野獣』のレビュー*2でも指摘したことと似ているが、その結果アニメーションの自由さから実写の生々しさや重力に捕らわれてしまい、ダンボの可愛さは失われ、せっかくの飛翔シーンも鈍重なものに感じてしまう。

 この時点で『ダンボ』の実写化としても失敗しているが、ティム・バートンの作品として一番の問題はモブ的に登場するサーカス団の人たちだ。本作のダンボはマックス・メディチダニー・デヴィート)団長率いるメディチ・ブラザーズ・サーカスで生まれる。これは原作のサーカス団もモデルにした実在したリングリング・ブラザーズ&バーナム&ベイリー・サーカスを下敷きにしているのだろう。ちなみに言うと、「バーナム&ベイリー・サーカス」は去年日本でも大ヒットした『グレイテスト・ショーマン』の元ネタだ。

 

  僕は『グレイテスト・ショーマン』もその見世物小屋描写の薄さに辟易し、『グレイテスト・ショーマン』を観た当時こんなツイートをしている。

 

それが、どうだ。ティム・バートンの『ダンボ』のサーカス団には身体障害や奇形を持っている人物はおらず、心に闇を抱えていそうな人間もおらず、そもそもシンプルに芸人として面白そうな人が一人として出て来ない。本作には偶然か狙ってか『バットマン・リターンズ』に登場したペンギン(ダニー・デヴィート)もバットマンマイケル・キートン)も出てくるが、まさかあのペンギンの胸の痛くなる切なさを!闇と同化して生きるバットマンの異常さを!描いてきたテイム・バートンが、グレイテスト・ショーマン』を更に薄めたサーカス描写をしてくるなんて心底ガッカリした。

 

 口辛くなってしまったが、『ダンボ』もティム・バートンも愛するものとしては涙を飲みながらもここは厳しくさせてもらおう。本作は『ダンボ』としてもティム・バートン作品としても最低の部類に入る。こんなものを僕は『ダンボ』と呼びたくない。僕は『グレイテスト・象マン』と呼ぶ。*3

ダンボ (オリジナル・サウンドトラック)

ダンボ (オリジナル・サウンドトラック)

 

*1:ただ、マイケル・キートンがどう見ても近年のディズニーという企業を具現化したキャラにはなっていて、その点は面白かった。

*2: 

*3:これを思いついた時は一人で爆笑しました。