昔、アーカンソーの大学に留学したばかり頃。ネパール人の友達とその彼氏であるパキスタン人の友達で、往復4時間かけてインド映画を観に行ったことがある。記憶が正しければ『プレーム兄貴、王になる』だった気がする。
んで、ネパール人の子がサルマン・カーンの大ファンだったもんで、興奮して絶賛していたら、パキスタン人の友達は退屈だったみたいで文句を言ったので、軽い痴話喧嘩をしていた*1。英語ではなく南アジアの言語でやりあっていたので、同じ言語で口論しているのかと思って聞いたら、ネパール人の子が「ネパール語とウルドゥー語だけど、お互いに何喋ってるか、なんとなく分かる。私はウルドゥー語喋れないけど」と笑いながら教えてくれて衝撃を受けた。「言葉は喋れないけれど、なんとなく分かる」の感覚が分からない。
そういえば、メキシコ人の友達から聞いたのだが、彼は初めてイタリア語を聞いた時になんとなく理解できてビックリしたそうだ。スペイン語もイタリア語も同じラテン語系だが、相当似通った部分があるらしい。これもイマイチ僕にはピンとこない。
日本語を例に挙げてみるけど、日本語と韓国語*2は文法は一緒だと聞くが、実際には文字も単語もまるで違うので理解ができない。中国語(普通話)も漢字で大体の意味は分かるけれど、やはり中国語で長々書かれた文章を読んだり、中国語を聞いてなんとなく理解できるか、と言われると無理があると思う。同じ日本国内でも、関西弁や東北弁など位ならお互いに全く問題ないが、琉球語やアイヌ語など、民族性の強い言語はお手上げレベルで分からない。
なんでそんな話をしているかというと、今日は『マッドマックス 怒りのデス・ロード』がアメリカで公開されてから5周年(!?)だそうで、シャーリーズ・セロンのツイートを見かけ、ふとシャーリーズ・セロンのWikipediaを調べてみると、彼女の母国語はアフリカーンス語である、という情報に行き着いた。んで、何を思ってかシャーリーズ・セロンのアフリカーンス語のWikiページを開いてみたら、ビックリするくらい「なんとなく」読めたのである。
英語を少しでもかじっている方は、是非とも上記リンクを開いていただけると、この「なんとなく」感を共有できるかもしれない。
高校時代に一生懸命勉強した世界史の記憶を微かに紐解くと、南アフリカはオランダ系白人のブーア人が建てた国々を、イギリス様が植民地戦争で分捕って建てた国だった(はず)。なので、アフリカーンスはオランダをベースに、英語などの影響を大きく受けて成立した言語なのだそうだが、英語が分かるとアフリカーンス語がなんとなく分かる、というのはこういう背景から端を発しているのかもしれない。
あ、余談だが、南アフリカと言えばこれらの記事も書いたな。懐かしいなあ、色々教えてくれたあの子は元気にしているだろうか。