『エイリアン:ロムルス』が良かったので『プロメテウス』と和解しようと思ったが、無理だった

  • 『エイリアン:ロムルス』がとても良かったので、2012年に観てガッカリした『プロメテウス』と和解しようと試みた。公開当時は科学チームの杜撰な行動にただ呆れた事と、『エイリアン』シリーズを思わせながら敢えて外す演出にイライラした記憶しかなかったが、改めて見返してやはり再び呆れる他ない珍作だった。
  • さすがリドリー・スコット御大なだけあって、アイスランドで撮影した冒頭の原始地球の描写はウットリするくらい美しい。ここで「もしかして、つまらなかったという記憶は幻想で、今観たら面白いのかも!?」と若干の期待を抱いたが、プロメテウス号の内部が2010年代の宇宙SFにありがちだった清潔感があるクリーンなイメージで、興味が削がれてしまう。
  • この点、『ロムルス』が良かったのは、1〜4作目が持っていた機械的でオイル塗れの汚いイメージを継承していたからだろう。何分暗くジメジメしていて、ゼノモーフが暗闇に紛れるのに打って付けだ。その上でシリーズでは珍しく赤やオレンジを基調としたカラリングで独自性を打ち出すことにも成功していたが、『プロメテウス』は3D映画として撮られていたこともあり、2Dで観ると画面が明るくて退屈に感じてしまう。
  • 実は前日に『エイリアン』も見返していたので、余計にちょっとの差異が気になってしまうが、『エイリアン』がゴシックホラーを意識してノストロモ号が角ばったユニークなデザインだったのに、プロメテウス号は明日になれば忘れてしまうくらい興味深い特徴もない。もちろん、『エイリアン』の黒のイメージとは対照的に、『プロメテウス』は白いイメージを打ち出そうとしたのかもしれないが、ただその白のイメージはシリーズにあった個性を殺してしまっている。
  • で、ミッションの説明が始まるのだが、ガイ・ピアースがどう観ても老けメイクなのが分かって萎えてしまうし、そもそもこの乗組員たちは事情も知らずに船に乗ってるのかとアホらしくなってしまった。ミッションが始まってからも取るなと言われたヘルメットを取り、開けるなと言ったドアを開け、触るなと言われたものに触れたり、危険性も不明の未知な生物に触れようとするなど、科学者とは思えないくらい迂闊な行動のオンパレードでストレスが非常に強く募る。まあ、この辺は公開当時に散々言われたことなので、今さら触れるまでもないかもしれないが…。
  • ただ、今回『プロメテウス』を観ていて一番引っかかったのは、『エイリアン』のレイプホラーやフェミニズム映画としての要素が薄まっている気がしたからだ。今更言うまでもないが、『エイリアン』は大変性的な映画である。無理やり人間に胎児を植え付けるのはあからさまにレイプのメタファーであり、黒光りしたペニスの形をしたエイリアンが濡れた狭い通路をグングン進んでいく様が何を表しているか言うまでもないだろう。アッシュがレプリーを襲う際、ポルの雑誌を丸めて口に入れて殺害しようとする一見奇怪な手法がわざわざ取られている理由も自明である。
  • その点、『プロメテウス』にも後年語り継がれている伝説の手術シーンはある。『ロムルス』にも通ずるシリーズ特有の妊娠の恐怖を表している描写だと思うが、よくよく考えると謎の生物に寄生されたショウ博士は不妊症で悩んでいる女性という設定である。感染した恋人との愛故の性行為の結果としてこの恐怖の手術シーンが描かれているが、これはこれまでフェイスハガーに強姦のようにチェストバスターを植え付けられてきた人間達の描写と比べると理不尽さや不条理さがマッチしていない。
  • 例えば、また『ロムルス』を引き合いに出して恐縮(しかもネタバレ注意!)だが、『ロムルス』には妊娠中のある女性キャラクターが登場する。しかも父親は分からないそうで、彼女たちが住んでいた植民惑星の治安の悪さから察するに、望まない妊娠だったことは明らかである。貧しい彼女にはおそらく人工中絶の手段もなく、この妊娠が結果として末恐ろしく不気味なクライマックスにつながっていくのだが、『プロメテウス』の手術シーンはこうしたメタファーとしてあまり機能していない。
  • また、もう一個別のシーンで言えば、二人の研究員たちが嵐でピラミッドに取り残されている中、船長のヤネックがウェイランド社重役のヴィッカーズに「あんた男と寝るためにこの船に乗ったんだろ?」と性差別も甚だしい暴言を吐く。ヴィッカーズはヤネックの発言に呆れたかと思えば、「10分後に部屋に来なさい」とヤネックを誘惑する。もうまるで意味不明な展開だが、二人がよろしくやっている最中に研究員たちと連絡が取れなくなり、しっかりと未知の生物に襲われるのである。
  • まあ、前述したように、当時から散々色々言われてきた映画ではある。よく言われているように、リドリー・スコットが脚本を変えまくって整合性が取れなくなったというのも一因だろう。でも、脚本が悪くても勢いや画で好きな映画はたくさんある。つまるところ、僕にとって『プロメテウス』は脚本の悪さに巨匠の勢いや画が追いついているように感じなかったのが問題だったのかもしれない。