日本では今週末(7月18日)公開の『インサイド・アウト』を6月に鑑賞。監督は『モンスターズ・インク』『カールじいさんの空飛ぶ家』のピート・ドクター、音楽はマイケル・ジアッキーノ、声優陣はエイミー・ポーラーやフィリス・スミス、ミンディ・カリング、ビル・ヘイダー、ルリス・ブラックら現代のアメリカンコメディ界を代表する喜劇人らが務める。
『カーズ2』以降のピクサー作品の出来に我々ピクサーファンは不安を覚えた。『カーズ2』は『トイ・ストーリー』シリーズとは異なりただのキャラ頼りのフランチャイズ映画*1になってしまい、『メリダと恐ろしの森』や『モンスターズ・ユニバーシティ』も悪くはないものの、『トイ・ストーリー3』までの傑作しか作ってこなかったピクサー作品の質と比べてしまうと物足りないものがあった。
今後の製作予定作品を観ても『ファインディング・ドリー』『トイ・ストーリー4』『カーズ3』と不安にしかならないタイトルばかり。これではまるでマイケル・アイズナー時代のウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオを思い出させる。一体、僕らの大好きなピクサー(とジョン・ラセター)に何が起きてしまったのだろうか…。
しかしそんな不安を共に抱えているファンの皆様には胸を張ってお伝えしたい。我々が愛したピクサーは遂に『インサイド・ヘッド』で復活を遂げた!否、復活を遂げたどころか『インサイド・ヘッド』はピクサー作品はおろかアニメ映画史にも名を残すとんでもない大傑作である。
ミネソタ州に住む夫婦の元にライリーが生まれた時、彼女の頭の中にもヨロコビ(エイミー・ポーラー)という感情が生まれた。ライリーが元気良く成長するにつれ、ビビリ(ビル・ヘイダー)、ムカムカ(ミンディ・カリング)、イカリ(リルス・ブラック)、そして−なんのために存在しているか分からないが−カナシミ(フィリス・スミス)といった感情も芽生えていき、この5つの感情はいつもライリーの頭の中の司令室からその成長を見守っているのであった。
しかしある日、ライリーはお父さんの仕事の都合でサンフランシスコへ引っ越すことになった。緊張する転校初日をなんとか成功させようと奮闘するヨロコビたちであったが、カナシミがライリーの性格に影響を与える「コアメモリー」に触れてしまったことがきっかけで、ヨロコビとカナシミは司令室から「長期記憶」へと吸い出されてしまう。一方その頃、ヨロコビとカナシミという二つの感情を失ったライリーの精神は不安定となるのであった…。
こんなに科学が発展した時代であっても、人間の脳の仕組みは実は10%も解明されていないと聞く。それだけ複雑で緻密なはずの脳の働きを、カラフルにディフォルメされたキャラクター達で説明してみせる本作の描写力の高さにまず驚かされる。例えば「頭から離れない曲」「空想の友達」「すぐに忘れてしまう学校で習ったこと」「トラウマ」「歯が抜け落ちる夢」「かき氷頭痛」などなど、誰もが「あるある!」と共感してしまうはずなリアルなネタがてんこ盛りであるにもかかわらず、それを面白おかしくファンタジックなヴィジュアルで観客に提供する。*2
そして脳内で空想的な大冒険が繰り広げられる一方で、ライリー自身には転校という辛い「現実」が降りかかる。カラフルな脳内とは対照的に灰色を基調とした暗く単調な色合いでライリーの日常が描かれる。大人はたかが引っ越しと考えるが、子どもにとって慣れない環境に身を置くことがどれだけ不安なことか。個人的な話になるが、僕も父の都合で転勤族だったこともあってライリーの心境には痛いほど共感してしまった。
ピート・ドクターが本作を作ったきっかけは二つある。一つは彼自身が子ども時代にデンマークに引っ越した際、孤独を覚えた体験から。そしてもう一つは彼の娘が思春期を迎えたことで繊細で複雑な感情を見せるようになったからで、彼女の脳内で何が起きているか解明したかったからだという。小学校高学年から中学生の時期まで、親に反抗的な態度をとってみせたり漠然とした不安を覚えたことは誰しもが経験してきたことだろう。
ただし、ピート・ドクターの娘は幸運だ。何故なら彼女のお父さんはとても鋭く優しい観察力を持っている人であることが本作を見れば分かるからだ。その愛にライリーと共に気付き、カナシミという感情が僕たちにどういう機能をもたらすかが分かるクライマックスが重なった時、僕や周りの大人たちはボロボロ泣かされてしまっていた。当の子ども達はポカンとしてたけどね。
以前も書いたが、アメリカの観客はエンドロールが始まるとゾロゾロ帰っていく。ピクサー作品恒例のエンドロールのサービスギャグにゲラゲラ笑わされ、いつも通りポツンと一人劇場に残っていると、こんな文章がエンドロールに流れてきた。
This film is dedicated to our kids. Please don't grow up.
(この映画を私たちの子ども達に捧げます。どうかこれ以上大きくならないでください。)
やめろよ!これ以上泣かさないでよ!