庵野秀明とプロと女性

 ここ最近Netflixで『新世紀エヴァンゲリオン』を大学時代以来久方ぶりに再見しまして、昨日TV版を見終わったところっす。アメリカからの視聴なんで、エンディングの「Fly Me To The Moon」が差し替えられてるクソバージョンです。 


 単純明快な娯楽映画が好きだった僕が昔『エヴァンゲリオン』を初見で観た時は、これ見よがしな謎の残し方が好きになれず、最終二話+旧劇場版なんかは多分に漏れず「はぁ!?」と憤慨したもので、シン・ゴジラ』の監督が庵野秀明と発表された時には一人大反対を唱えていた訳です*1。しかしあれから精神的には幾分か大人になった今や大分落ち着いて二回目を見ることが出来ましたし、『シン・ゴジラ』との類似性を改めて実感して面白かったですね。

 

 『エヴァ』と『シンゴジ』以外の他の庵野秀明作品を観ていないので恐縮ですが、少なくともこの2作品に言えることは庵野監督は「プロが素人の伺い知れないところで頑張ってる」描写が好きなのと、アンチマチョイズムな姿勢が共通しています。

 

 「プロが素人の伺い知れないところで頑張ってる」描写はもう明白だと思いますが、『エヴァ』には難解な専門用語が次から次へと飛び出していて、それが初見ではフラストレーションが溜まる元でした。しかし同じく圧倒的な情報量が洪水のように流れる『シン・ゴジラ』を観るとそもそも庵野監督は観客がこういった情報を一から十まで受け取ることを端から考えていないことが分かりましたし、むしろ積極的に観客を置いていけぼりにしようとしているのじゃないでしょうか。我々一般人が分からないところでプロが専門知識を持って危機に立ち向かう姿勢こそ庵野監督は興味があるのだと思います。

 

 また、シン・ゴジラ』には一般人の目線がほとんど出てこない点が一部批判に晒されました。僕としては途中避難準備をしている家族がゴジラに殺される描写を出している時点でその点はクリアになっているのですが、確かに『シン・ゴジラ』はほぼ官僚内で物語が進行します。『エヴァンゲリオン』もシンジ君が学校に行く描写はあるものの、庵野色が強くなる物語後半になるにつれて日常描写はほぼなくなっていきます。そういえば「人類補完計画」や「サードインパクト」という人類滅亡の危機を描いているのに、舞台となっているのはほとんど閉鎖的なネルフの指令室、というのも印象的です。

 

 あとアンチマチョイズムなのは『エヴァ』の萌え売りを前提として必要以上に性的に強調されたキャラ造形で分かりにくいですが、しかし主人公がナヨナヨしたシンジ君であるのに対し、女性キャラのアスカやレイは(のちに精神崩壊するとしても)比較的に初登場時から自立したキャラクターであり、またネルフのトップがいつも説明不足のクソ頑固おやじであることを考えると、いつもシンジ君をサポートする優秀な司令官や科学者はミサトさんや赤木リツ子、といった強い女性キャラクターであるのも印象深い*2です。徹底的に男性を信用していないと言いますか何と言うか。更に、登場する男性キャラクターデザインにしても、担当した貞本義行の線の細い絵柄がアンチマチョイズムを強調しています。

 

 一方、日本の内閣がほとんど男性で構成されているため、なるべく現実を作品内に反映させた『シン・ゴジラ』も登場人物のほとんどが男性です。しかし、中でも異彩を放っているのが巨災対尾頭ヒロミアメリカ特使であるカヨコ・アン・パタースンといった女性キャラたちであり、彼女たちは男性優位的な日本政府内においても堂々と物おじせず発言をし、プロフェッショナルに徹して仕事をこなします。こういった強い女性像というのは、庵野宮崎駿のもとでアニメーターとして働いていたことは少なからず影響を与えているんじゃないでしょうか。

 

 さあ、つい先日いつまで経っても完成が見えなかった『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』の冒頭10分ほどがお披露目されました。僕は『エヴァンゲリヲン新劇場版:序』『破』に盛り上がった分、『Q』には死ぬほどムカついたので、今度こそ奇麗な終わりを見せてくれると良いんですけど…正直それは期待できないものの、またもぶっ飛んだ展開でこちらの脳を揺らしてくるんじゃないでしょうか。2020年楽しみですね。

 

シン・ゴジラ

シン・ゴジラ

 

*1:結局その年のベスト並びに「男の魂に火をつけろ!」オールタイムベスト企画で選出するほど好きな作品となる。 

*2:あと、第7話「人の造りしもの」など、明らかに女性を侮蔑している男性が登場し、だからこそミサトが大活躍する後半にはカタルシスを感じます。