セリフではなく、画で語ってほしかった/『シン・仮面ライダー』★☆☆

 石ノ森章太郎原作の国民的ヒーロー『仮面ライダー』をリブートした『シン・仮面ライダー』を鑑賞。監督・脚本は全ての「シン・ジャパン・ヒーローズ・ユニバース」作品に関わっている庵野秀明。主演は池松壮亮、共演に浜辺美波柄本佑西野七瀬塚本晋也手塚とおる松尾スズキ森山未來ら。

 

 一連の『シン・』がつく庵野秀明監督の(今の所)最終作であり、それなりに期待して観に行った。なお、元々全シリーズを鑑賞済みだった『シン・ゴジラ』や公開前に初代を全話観て臨んだ『シン・ウルトラマン』と違い、今回は元々のテレビシリーズや石ノ森章太郎の原作は読まずに『シン・仮面ライダー』を鑑賞した。*1特段、『仮面ライダー』シリーズに思い入れがある訳でもない。ということで、この感想はその程度の『仮面ライダー』男が書いた文章だと思って読んで欲しい。

 

 『シン・ゴジラ』は画期的な映画だったと思う。怪獣映画ではあるにもかかわらず、怒涛の情報量のセリフで映画を埋め尽くし、油断するとすぐに小難しい話を展開する庵野秀明イズムを全面に繰り広げながらもエンターテイメントとして成立させるという離れ業をやってのけた。公開以後も何度も見返しており、オールタイム級に好きな映画であると言っても過言ではない。

 

 続いた『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』は1時間以上ウジウジするシンジくんに面食らったものの、しっかりと『エヴァンゲリオン』というカルチャーを終わらせようとする庵野秀明の意志が感じられる作品で、これまでのシリーズからは考えられないラストの爽快感なんて最高であり、庵野監督の演出やカット割も一々キマっていて映像表現を追求した作品としては一種の極限まで到達していたと思う。

 

 『シン・ウルトラマン』は嫌いにはなれない作品だったけれども、随所に問題がある作品だとは感じた。テレビシリーズの総集編みたいなテンポの速さで人間ドラマが希薄になってしまい、樋口真嗣監督のアニメ調演出も中々にキツいものがあった。一方で、通常では考えられないような画作りの奇抜さがあり、そうした歪さがどこか印象深いものになっている。

 

 さて、前置きが長くなってしまった『シン・仮面ライダー』。本作で忙しくて『シンマン』を監督できなかったというくらいだから、庵野秀明監督が久々に演出に戻った『シン・仮面ライダー』には大いに期待したが、結果的にこれがとても困った作品に仕上がってしまっていた。

 

 まず最大の問題だと思ったのは、説明セリフの多さである。『シン・ゴジラ』の「明らかに観客に聞き取られることを意図していない」圧倒的なセリフ量とは違い、『シン・仮面ライダー』の説明セリフはただの説明以外の意味がない。これはゼロ年代に散々批判されていた邦画の演出手法であるが、登場人物たちが突っ立って会話をしているだけの画があまりにも多すぎる。会話が魅力であった『シン・ゴジラ』とはエラい違いであるし、命を賭けた戦いの最中まで自身の能力や武器の能力を説明しているのは間抜けですらある。*2

 

 セリフの多さという問題に更に拍車をかけているのは、セリフの聞き取りにくさである。オンリーを録る時間がなかったのか、アフレコする予算がなかったのか、整音がうまくいっていないのか、リアルさを重視して意図的なのかは分からないが、ライダーが喋る時にご丁寧にマスクを被った時のくぐもった音質まで再現されていて、何を言っているのか分かりづらいのだ。ちなみに、僕はIMAXで観たのだが、その環境で聞き取りづらく、ただでさえ難しい専門用語が出てくる本作でこの聞き取りにくさは致命的だと思った。

 

 そして、これは『シン・ウルトラマン』の時にも感じた問題点だが、話の構成があまりにも単調である。説明があったかと思えば怪人が現れ、倒し、また説明し、怪人が現れ、倒し…のサイクルを繰り返している。総集編的にまとめようとしているのかもしれないが、尺にしては敵の数があまりにも多く、結果的に一人の敵に割ける時間は短くなり、まるでベルトコンベアーのように淡々と戦いが過ぎていく*3。退屈さが故に、クライマックスでは寝かけてしまった。

 

 『仮面ライダー』といえば特撮なので、肝心のアクションがうまく行っていれば大抵のことは目も瞑るが、これがまた暗所でのバトルが多く、手ブレで撮ったり、短いカットが多かったり、これまでの『シン』シリーズ同様に色んなカメラで撮るのでカットごとに画質が頻繁に切り替わったり、これまた何が起きているのか非常に分かりづらい。

 

 更には高崎を中心としたロケーションも似たり寄ったりな場所ばかりで、壮大な計画を立てているショッカーが登場する割には、どっかの地方で車で30分くらいの距離内で起きている出来事に見えてしまう。加えて、ショッカーから持ち出したパソコンがMacBookにショッカーのステッカーを貼っただけ、という小道具もチャッチすぎるし、相変わらず邦画の金のなさを随所に感じてしまうのも残念に思う。

 

 俳優陣は頑張っているのだが、庵野秀明の演出は役者から感情を限りなく削ぎ落とすものなので、誰も彼もが綾波レイ化してしまう。最初に戻るが、全員が感情を殺して長い説明台詞を読んでいるという、まるでアバンギャルドな舞台を見ているような違和感が本作にはある。要するにアニメのように記号化してしまっているのだが、本作はあくまでも映画なのだから、「画」を通してストーリーを語ってほしかった。

 

 確かにキメ画は随所にあったけれど、ドラマを強く押し進めるものではなく、アニメのようにカッコよくキメた画でしかなかったので、アニメ作家庵野秀明の業のようなものを感じてしまったな。それは皮肉にも、今日出た『シン・仮面ライダー』の追告が物語っている。

 

 

*1:本当は去年から予習計画を進めていたのだが、2話で止まってズルズルと公開日が来てしまった…。

*2:これは本作だけの問題ではなく、邦画のアクション映画でよく観られる演出であり、アニメや漫画文化が強すぎるせいだと思う。一方で、例えばアメコミ映画なんかはクライマックスに敵を倒す時のヒントは大抵冒頭の日常会話シーンや中盤の修行シーンの何気ない会話にあったりして、あくまでもバトルはビジュアルで見せてセリフも気の利いたパンチラインを言うに止めていて、ビジュアルストーリーテリングに長けていると思う。海外の演出家はやはり映像で語ることが常識になっていると感じる。

*3:ネタバレになってしまうが、2号が敵として登場して、改心し、一緒に戦うシークエンスが流暢過ぎて、あまりにも情緒がなさすぎるのでは…