世界で一番ミニマルなユニバース/『ミスター・ガラス』★★☆

 イーストレイル3部作の完結編である『ミスター・ガラス』を鑑賞。監督・脚本はM・ナイト・シャマラン、製作はジェイソン・ブラム。主演はジェームズ・マカヴォイブルース・ウィリス、そしてタイトルになってるミスター・ガラスをサミュエル・L・ジャクソンが演じる。

※直接的なネタバレはしていませんが、可能な限り『スプリット』と『ミスター・ガラス』を観てからお読みください。

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 『ミスター・ガラス』という続編の存在が『スプリット』最大のネタバレとなってしまっているが、宣材通りこの2作品は『アンブレイカブル』から続くトリロジーを成している、ということを前提に。シャマラン映画を最近見始めたばかりのシャマラニスト初心者が書くレビューなので、暖かく見守って頂きたい。

 

 『アンブレイカブル』は「もしも現実と地続きの世界にスーパーヒーローがいたら?」という問いを『ダークナイト』や『キック・アス』の前にやった、という意味では画期的な映画だったのだろう。一つ後述作品と明らかに異なる点は、スーパーヒーローを題材にしている割にスペクタクルなシーンは一切なく、ミスター・ガラスに諭されたデヴィッド・ダーンが「そういや俺人生でケガも病気もしたことないけど、本当はスーパーヒーローじゃなかろうか…」とひたすら内省的に悩む姿が映される。切っ掛けとなる冒頭の脱線事故すら直接的描写は見せず、登場人物たちがフィラデルフィアから出ることもない。全て生活圏内で起きる出来事だ。

 

 舞台設定と言う意味では『スプリット』は更に範囲が狭まっている。23もの人格を持つ解離性同一性障害のケヴィンによる女子高生誘拐を描いている物語の性質上、舞台はほとんどフィラデルフィア市内の某地下施設で展開される。後に『アンブレイカブル』に繋がる超人的能力をケヴィンは見せるが、しかしその能力も滅茶苦茶速く走ったり、とんでもない怪力で壁をよじ登れる、といった地味なもので、地味であるからこそどこか現実味を帯びたものに見え、ここでもスペクタクルは排除されクライマックスはアンチカタルシスなものになっている。

 

 さて、これらの作品と世界観を共有する「イーストレイル117三部作」の完結編である『ミスター・ガラス』も、これまた負けないくらい狭いミニマルな世界をフィラデルフィアで展開している珍味な作品だ。再びスーパーヒーローという題材に戻ったシャマランであったが、今度は登場人物たちに「俺たちのスーパーパワーって本当は妄想の産物ではなかろうか…?」というこれまた内省的な疑念を抱かせて、前半部はその一点に執着するという大胆ともいえる構成を見せる。クライマックスではスーパーヒーロー映画にありがちな超人たちバトルを見せるが、これも派手なビームや超能力は登場することなく単純なパワーとパワーの押しくらべであるのも、やけに超人たちの実在感を演出している。

 

 しかし、現実に即した箱庭的世界観で完結したかのように思われたユニバースは、まさにシャマラン的としか言いようがない広がりをオチで見せる。まるでスーパーヒーローと言うガラスを満遍なく散らばせる為かのように。こうしたミニマルな入り口からマーベル/DCもビックリの無限の可能性を秘めた世界を見せるその語り口こそが恐らくシャマラン流のストーリーテリング術なのであり、その手腕にシャマラニストたちは魅了されてきたのだろうな。

 

アンブレイカブル(字幕版)

アンブレイカブル(字幕版)

 
スプリット (字幕版)

スプリット (字幕版)