学校の外には広くて深い世界が待っている。

 人生で苦しかったフェーズは多々あるけど、学生時代における受験勉強も相当ストレスフルだった。僕は小さい頃から厳しかった父方の祖母に「大学は東大しかない」と洗脳されてきて、本気で東大以外は落ちこぼれだと信じ切っていた。その割には、高校3年生になるまで努力はしてこず、現役ではセンター試験足切りに遭い、1浪後に本試験に臨めたもののタッチの差で落ちた時は絶望というものを味わった。

 

 何よりもキツかったのは、勉強中にかけられる大人たちの言葉である。「こんな成績で東大に行けるわけはない」「そんな問題も解けなくてよく東大を受けようと思ったな」「東大卒とその他の大学卒では生涯収入に差が出るので、東大に行けなかった時点で負け組になる」…などなど。当時の感覚でいえば、どれもハッパをかけようとした言葉なのだろうが、プレッシャーで押し潰されそうになったし、1浪してまで受験を失敗した時の「これからどう生きていこう…」とお先が真っ暗になった感覚は忘れない。

 

 今考えると失礼な話だが、別の大学に入学した当初も学歴偏重な考え方に毒されてしまって、楽しそうにしている同級生たちを見て「僕はこいつらとは違う」という捻くれた選民思想を持っていたので、クラスでの友達は一切できなかった。救いだったのは顔を出していた映画サークルの方で、趣味の合う仲間たちと遊んだり、いろんな名作映画に出会えたおかげで「何も学歴や肩書きだけが人生の全てじゃないな」と目を覚すことができたのだ。フリーランスで決まり事に縛られずにのんびり暮らしている今の僕の精神的支柱になっているのはこの体験のおかげだろう。

 

 僕の高校の友人たちは親が医者だった人が多いので、僕よりも更に苦しい学生時代を送った人たちを見てきた。ある友人は絵がうまくて漫画家になりたかったけど、息子にクリニックを継がせたい親がそれを許してくれずに2浪までさせられて、ようやく医学部に受かったのにやっぱりやる気が出なくて留年し、結果的に中退してしまった。遅咲きのデビューだったけれど、今彼はちゃんと漫画家になれたので本当に良かったと思う一方で、親のエゴのために10代・20代の貴重な数年間をストレスフルに過ごさなくては行けなかったのは心底可哀想だと思う。

 

 語弊を招きかねないことを承知で書くが、僕は東大前で死傷事件を起こした少年に深く同情してしまう。もちろん彼がやった行いは到底許されないが、僕も受験時代にドス黒い残酷な妄想はたくさんしてきた。僕だって一歩間違えればそっち側に行っていただろうし、なんならこの少年に共感してしまった人は日本中に山ほどいるだろう。

 

 学歴社会が悪いとは簡単には言うつもりはないが、この少年が通っていた学校の声明文には憤りを隠せない。あたかもコロナ禍が悪いかのようにも読める文章だったけれど、コロナ禍でなくたってこういう事件はいつか必ず起きていただろう。子どもは視野が狭い。12年間も過ごす学校という閉鎖社会で、人生が完結しているとつい思い込みがちである。

 

 一方で、学校の塀の外に広くて深い世界が待っていることを、たかだか17~18の学生に理解させるのは難しいだろう。多感な時期だからこそ、この少年に東大や医学部、あるいは学歴が人生の全てではないと、かつて子どもだった周囲の大人たちが教えてあげられなかった責任は重い。