ノーランが意図したビジョン/『ダンケルク』★★☆

 ダンケルク撤退作戦を描いたクリストファー・ノーラン最新作『ダンケルク』を通常70mm上映版とIMAX 70mm上映版を鑑賞。ノーランは監督以外に脚本・製作も手がけ、奥さんのエマ・トーマスも製作に参加。IMAX65mmカメラをメインにホイテ・ヴァン・ホイテマが撮影監督を務め、音楽はハンス・ジマーが作曲。メインキャストにトム・ハーディ、マーク・ライアンス、キリアン・マーフィー、ケネス・ブラナーの他、フィオン・ホワイトヘッド、トム・グリン=カーニー、ジャック・ローデン、1Dのハリー・スタイルズら新鋭が集結。

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ノーランは実話に挑んだのか

 

 ナチスドイツ軍のビラが降るダンケルクの街で歩く兵士たち。突如銃声が鳴り響き彼らは必死に逃げる。銃弾に倒れる彼らを引きの画で写し、弾着をわざわざ見せるのに一切の血を見せない違和感ニューオリンズの劇場での初見時で、この冒頭場面からいまいちのノリきれなさを感じていたが、とあるノーラン評を思い出した。

つまり(「リアリスト」と良く評される作風の)ノーランがやりたいことは、いつもやっていることというのは、「リアル化」じゃなくてむしろそういう「抽象化」というか「記号化」(中略)された出来事というか、ストーリーの語り口の方がやりたいなの。

 これはライムスター宇多丸が『ダークナイト・ライジング』を自身のラジオ番組内でざっくり評した放送からの引用*1だが、今回の『ダンケルク』もノーランが抽象化された戦争を語っていることを考えると実に説明がつく。日本の宣伝では「ノーランが実話に挑む」という惹句が目立つが、実のところノーランに「史実としての」ダンケルク撤退作品にはまるで興味がないかのように見える。

 

 ノーランが真にリアリストであるならば、血も流さず間抜けに倒れる兵士なんか映さないだろう。史実にこだわっているのであれば、敵兵を一人として画面に出さないなんて不自然なことはしないだろう。ドラマに興味があるのであれば、3つの時間軸を交差させる技巧的な編集はしないだろう。倒れる兵士も敵兵も交差する時間軸も全て危機感を煽る記号や装置でしかないのだ。

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 本作に登場する全ての人物が架空に作られていることも、ノーランが決して「実話に挑ん」ではいないことの証左になるだろう。

 

ノーランに初めて絶望してしまうのか

 僕はクリストファー・ノーランの大ファンである。契機は僕の世代の多くの人がそうであるように『ダークナイト』からであったが、以降の作品は必ず追い続けているしその年の年末ベストにノーラン作品は必ずランクインしていた。

 

 ところが僕は本作の初見時にはほとほと困惑してしまった。

 

 ノーランのCG嫌いが本作では頂点に達し、全ての戦闘機も戦艦も当時使われたものやレプリカを調達したという。しかしそのせいで例えばごく少数の戦闘機しか登場しない空中戦のスケールは小さく見えるし、そもそも先述の通り「流血が出ない」ことを見せているのであれば、何をそこまで「実写で撮る」ことに拘っているのか分からなかった。

 

 ノーランはデビュー作『フォロウィング』や『メメント』で時系列シャッフルを披露し、以降の作品でも編集トリックを頻繁に使用して来た。時系列を入れ替えるストーリーテリングはノーランの十八番であり、これも先述のように『ダンケルク』でも使われる。しかし、これまでのノーラン作品と違い、全ての時系列が一点に集約した時のカタルシスをまるで覚えなかった。昼と夜のシーンを交互に出す大胆さには無神経にすら思えた。

 

 悲しいことにこの2点はこれまでのノーラン作品だったら必ずや僕が惚れ込む要因になっていたはずだった。

 

ノーランがIMAX 70mmで撮影・上映した意味

 かくして初見時には大好きなノーラン作品にまさかの退屈さを感じてしまい軽いショックを受けてしまったのだが、何とか本作をIMAX 70mm上映で鑑賞する機会を伺っていた。

 

 ノーランは『ダンケルク』は本編8割のIMAX 65mmカメラで、残りを65mmカメラで全編フィルム撮影している。IMAX 65mmで撮ると何が違うのかは以下のブログに詳しいので是非参考にされたし。

 

 

 ノーランは撮影のスタイルからこだわる監督だが、フィルムで撮られたものがそのままフィルムで上映されるのであればこれは観ておかないわけにはいかなかった。IMAX 70mmで上映されるスクリーンが世界でも37劇場にしかなく、そのうち1つに(車で片道4時間半かかるとはいえ)行ける距離に奇跡的にあるのであれば、なおさらだった。

 

 余談ではあるが、日本にいた時はIMAX警察気味であった僕は映画館の選択肢がないアメリカのど田舎で『マッドマックス 怒りのデス・ロード*2を小さいハコで観て大きく考えが変わった。面白い映画はIMAXで観ようが、田舎の小さいスクリーンで観ようが、家のTVのDVDで観ようが面白いのだ。

 

 なのでTwitterで散見された「『ダンケルク』のIMAX 70mmと通常版は全く違う映画」という意見がにわかに信じ難かった。こんだけ長時間ドライブして果たして意味があるのか懐疑的になりつつナッシュビルの映画館で遂に『ダンケルクIMAX 70mm版を今週の火曜日に見て来た。

 

 回りくどくなって来たので結論から書こう。驚くべきことに、通常の劇場で観る『ダンケルク』とIMAX 70mmで観る『ダンケルク』は全くもって違う印象をもたらした。IMAX 70mmを観ることでやっとクリストファー・ノーランが本作で成し遂げたかったことが見えて来たのだ。

 

 まずは何と言っても正方形に近いスクリーンの大きさに圧倒される。IMAX 70mmのアスペクト比は1.43:1に対し、僕が最初に観た通常70mm版のアスペクト比は2.20:1。ほぼ40%もの情報量が上下に黒帯で隠されてしまっていたのでノーランが描いていた本来のビジョンが発揮されないのも無理はなかった。

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 スクリーンがこれだけ大きいと僕が不満に覚えた空中戦も意味が変わってくる。空中戦のスケールではなく、スピットファイアを操縦している感覚を味わえる。カメラが取り付けられた戦闘機が旋回する様を眼前いっぱいに映された映像は、三半規管が錯覚をおこすほどであった。

 

 また、IMAX 65mmフィルムが捉えた映像の美麗さにも惚れ惚れさせられる。本作には通常65mmで撮られた映像も混在し、そのショットが映る度にアスペクト比や画質が大きく変わるのは若干のノイズではある。しかし逆にIMAX 65mm使用ショットの色調や黒みの繊細さに気付かせてくれる。更にほぼ4:3のアスペクト比とフィルムの質感、果てはホイテ・ヴァン・ホイテマによる手持ち撮影が掛合わさり、第二次世界大戦の記録映像のような臨場感を作り出す子に成功していた。

 

 IMAXは映像に意識が偏りがちだが、音もまた凄まじい。一回鑑賞した映画であったにもかかわらず、12.1chの音響が前後左右果ては天井からも攻めてきてビクっと驚かされる新鮮味があり、リチャード・キングのサウンドデザインやハンス・ジマーのサスペンスを煽るサウンドトラックも遺憾無く威力を発揮している。

 

 技術面ばかりに言及したが、プロット面や戦争映画としての『ダンケルク』には相変わらず首を捻りたくはなる。ただ、やはりノーランにドラマや史実を語る気がさらさらないことはIMAX 70mm版を観て一層確信に至った。ノーランの目的は観客を戦場に置いてくることだったのだ。

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 敵兵が一人も出てこないのも時間軸が交差するのも、理解不明で理不尽な戦場にいる臨場感をより増強させるためだろう。いわば、ノーランがIMAX 70mmという超巨大な投影フォーマットを使用した目的はーノーランが最新技術を嫌っていることを考えれば実に皮肉なことであるがーVR的な体験を観客にさせるためだった。そのために通常スクリーンの劇場とIMAX 70mm劇場での鑑賞報告がまるで違うように散見されたのは至極当然のことだったのかもしれない。

 

 残念ながら日本にはIMAX 70mmを鑑賞できる環境はないが、ノーランが意図したビジョンに近い体験するためにも大阪エキスポシティレーザーIMAXなどのなつべく最高設備のIMAX劇場での鑑賞をお勧めします。

 

 

DUNKIRK

DUNKIRK

 

 

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