僕がアメリカに渡ってから恋しく思っている物の一つに邦画があって、特に大好きな細田守監督の直近の2作を見逃してしまっているのは辛い。つい最近『未来のミライ』が公開されたと聞く。
しかし、細田守ファンとは言えど、また夏かよ!とツッコミを言わざるを得ない。『時をかける少女』以降の細田守監督作品の宣伝イメージは全部主要登場人物の後ろに「入道雲が立つ奇麗な青空」が入っている。歴代作品の宣伝素材を見ると一目瞭然である。
しかし、これは細田守の作風の問題、というよりは興業の問題である気もする。細田守の劇場用作品で夏を舞台としていないのは『デジモンアドベンチャー劇場版』『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』『ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島』の三本だけだが、これらの作品は3つとも全て3月公開で春休み興行であるのに対し、東映アニメーションから独立後の細田監督作品は全部7月~8月の夏休み興行作品となっている。僕が上記のイメージを羅列したとき、本編からのカットよりもあえて宣伝素材を選んだのは、制作側が夏っぽさを強調して細田作品を売り込もうとしている意図が伝わりやすいからだ。
これは細田作品に限らず、ある種邦画界全体に蔓延している事象で、例えば今年の夏公開される邦画作品のポスターを並べてみてもいかに青空をバックにしたイメージを売りにした作品が多いかどうかが伺える。映画評論家の柳下毅一郎氏は邦画界のこの現象を「青空地獄」と呼んでいる*1。
うーん、こうして見ると、邦画というよりは青春映画というジャンルの話なような気もしてきて、日本の映画業界(もしくは予告や広告イメージを作る代理店)が青春映画=青空 or 夏という式から打破しきれていないのが一番の問題かと思います。まあ、僕はこれらの作品を見てない(見れない)ので、それぞれの作品内容について批判する気は更々ないですが、広告のあり方としては多様性欠いててつまらないと思います。
あ、でも本来は僕は細田守がいつも夏についての映画を取っていることについて書きたかったので、それは流石に広告戦略とは逸脱して作家論として論じるべきですが、僕の文章が最初と終わりで違うことを言っている支離滅裂なのは今に始まったことではなく、考えれば考えるほど頭が混乱してくるので、これはまた別の機会に考えたい、というか『バケモノの子』と『未来のミライ』をちゃんと観てから考えたいと思います。
*1:柳下さんは正確には青空をバックに男女が並ぶ映画のことを「青空地獄」と呼んでいるが、それにしたってこんなに青空を背景にした映画が多いのは不思議だ