DCコミックスの人気ヴィランを描いた『ジョーカー』を初日に鑑賞。監督は『ハングオーバー!』シリーズ、『ウォードッグス』のトッド・フィリップス、脚本はフィリップスと共に『8mile』『ザ・ファイター』のスコット・シルヴァーが執筆。製作にはブラッドリー・クーパーの名も。ジョーカーを演じたのはホアキン・フェニックス、助演にロバート・デ・ニーロ、ザジー・ビーツ、フランセス・コンロイら。
感想レビューってほどじゃないけれども、今日『ジョーカー』について知人と話したので僕の考えをまとめると、現実世界に地続きな作りが魅力的でもあり、なおかつ欠点でもある作品だと思う。基本的には好きな作品である、という前提は置いて。
前もこのブログにも書いた*1が、『ジョーカー』は徹底してニューヨーク都市圏で撮られている。NYの名所としてはあまりにもアイコニックなブルックリン橋を背景に写すことに躊躇いもなく、地下鉄の標識も構造もNYのサブウェイとまんま一緒でせめてもの配慮は路線を架空なものに差し替えているくらいか。
『ジョン・ウィック』シリーズのようにハナからNYとしてロケーションが設定されている作品ならまだしも、ここまであからさまにNY然としていてはゴッサムシティという世界観への没入感を阻害するリスクも背負っているが、トッド・フィリップスを始めとした製作陣が敢えてその挑戦を選んだのはアーサー・フレックに観客を共感させる為だろう。ゴッサムシティ、というかアメリカ社会からどん底に突き落とされたアーサー・フレックが悪に変わる瞬間を描いているからこそ、アメリカの批評家や観客が「危険な映画だ」と騒ぎ立てているのには納得が行く。*2もちろん、ホアキン・フェニックスの身体を削る名演も共感を誘う。
が、一方で。意地悪い言い方をするならば、だったらもう少しアーサーを徹底的に虐め抜いた方が良かったんじゃないか、と思う。精神疾患を持ち、職を失い、福祉も打ち切られ、才能は認められず、愛してくれる人もいない。それは並大抵な人間にとっては辛いが、これは世界的に有名なジョーカーの誕生を描いた物語である。
本作も参考にした原作『バットマン:キリングジョーク』に準拠して化学物質の中に落ちたバートン版『バットマン』のジョーカー、あるいは逆に過去を一切不明にしたことでそのカリスマ性と不気味さを研ぎ澄ませた『ダークナイト』のジョーカー、ヤンキー気質だけどギャングを率いてマシンガンを連射する『スーサイド・スクワッド』のジョーカー。過去に何度かジョーカーは実写化されたが、よりカオティックで騒々しく、悪のカッコ良さで映えていたのはアメコミらしくケレン味のあるジョーカー達だった。
『ジョーカー』はノーラン版よりも更に現実に即し過ぎたことで精神的にも身体的にも弱々しく写ってしまい、スーパーヴィランの魅力を大きく削ってしまっている。バットマンも永遠に悩ませる悪のカリスマの過去は、弱肉強食社会の辛さに泣く心優しい青年で良いのだろうか。恐らくダース・ベイダーの誕生秘話を観に行ったつもりが、あどけない少年がレースに挑む姿を見てガッカリした当時の『スター・ウォーズ』ファンの気持ちというのはこういうものだったのかもしれない。*3