現代的編集感覚は生き急ぐ

 あれだけ東京オリンピックを批判する動画をあげておきながら、今現在オリンピック関係の仕事をしていて忙しいのは我ながらダブルスタンダードだと思う。やんわりと映像系の編集仕事であるとのみ書いておくが、編集中良く指摘されるのは「間」のなさだ。ある人物が話しているとすると、その音声がちょうど終わったところで僕はすぐ切ってしまう癖がある。

 

 この癖の出どころは自分でも自覚があって、YouTubeTikTok用の動画を編集する時の「間」の詰め方のせいだ。テンポとリズムが大事なネット上の動画では、余計な間はバシバシ切っていくし、ジャンプカットも平気でする僕がかつて嫌っていた編集スタイルだ。それが今日、「間をもっと余韻を持たせたい」という指摘を受けて、いかに無意識にYouTube的な編集感覚が身に染み付いてしまったか痛感した。

 

 ただ、これはもう動画の主戦場はネットメディアになっているので、今後金になる編集感覚というのは「間」を切り詰めていくスタイルだろう。だけれども、この「間」こそが小説における地の文であったり、漫画におけるコマ間の余白だったり、音楽における休符だったりしたわけで、美しい緩急を作り出していたはずなのに、いつの間にか現代的映像テンポはスピード感重視の忙しいものになってしまったなぁ、とたまには小難しいことを考えてカッコつけてみるのであった。