『バビロン』最後でマニーは何故泣いていたのか?

※本記事は『バビロン』のネタバレを含みます。

 最近日課で『キー&ピール』の過去放送をParamount+を観ているんですが、今日アクセスしたらデミアン・チャゼルの『バビロン』がもう配信になっていました。

 

 僕は劇場で『バビロン』を観て放心状態になったほど大好きな映画でして、特にラストの反則級のモンタージュが大好きで、今日もラストだけついつい観ちゃいました。

 

 ただ、『バビロン』はアメリカでも日本*1でも賛否両論を呼んでいる作品で、特にラストを批判する声を多く感じます。僕が観測した範囲でも、「映画の中で起こったことを考えると、マニーが最後感動して泣いているのはおかしい」という感想が少なくなかったのは興味深かったです。

 

 何故なら、僕は感動で泣いているとは思わなかったんですよね。映画という「偉大な何か」の一部になりたくて、マニーやネリーはハリウッドの扉を開き、しかしそれぞれ失敗してマニーは映画の道からすらも遠ざかった訳ですが、僕は自分達が必死に生き抜いてきた20年代のハリウッドを『雨に唄えば*2でパロディにされ観客に笑われたことに対して、虚しさや悔しさを感じて泣いていて、しかし映画という「偉大な何か」の一部には確かになった、という細やかな慰めに対しても泣いていたと解釈していたんですよ。

 

 これに対して思い起こされるのは、同じくデミアン・チャゼルの『セッション』が公開された際に起きた、ラストの解釈を巡って町山智浩氏と菊池成孔氏による大論争ですが、デミアン・チャゼルは作風が硬派な上に「ラストに観客の予想斜め上をいく壮大な仕掛けを用意しないと死んでしまう病」にかかっているので、どうしたって毎作品ラストの解釈次第で映画の評価が分かれてしまう、というのは無理もない気がします。僕も『セッション』公開当時、自分流の解釈をしてブログのコメント欄が荒れました。

 

 ところで、『バビロン』は脚本(グリーン稿*3)がネット上に公開されていたので、ラストに当たる部分を読んでみました。(筆者訳)

https://www.indiewire.com/wp-content/uploads/2023/01/Babylon-Screenplay.pdf

 

Manny can’t believe it. How can they laugh so callously? He glares
-- pissed now. Looks back at the screen -- furious to see events
he feels so close to be so glibly mocked. Keeps watching, the
images becoming even more personal now -- the scene of a MOVIE
PREMIERE, where Jean Hagen’s character, dolled up like an 18th century MARQUISE just like Nellie was, butchers lines with her
nasal screech --

マニーは信じられなかった。何故観客たちは無情にも笑っていられるのだろう?マニーはにらみつけるー怒っているのだ。マニーはスクリーンを見返すが、滑稽に模倣された出来事を見て激怒している。そのまま観続けるが、イメージがより個人的なものになる。映画の試写会のシーンで、ジーン・ヘイゲンが18世紀の公爵夫人の格好をし、鼻にかかった甲高い声で台詞をダメにしてしまう場面だ。まるでネリーがそうしたように。

 

(中略)

 

The SPECTATORS on-screen roar with laughter -- as do those around Manny. Tears start to well in his eyes, until, finally -- he begins to CRY. It’s all too much. The shock of recognition. Looking into the mirror. He sits there, weeps -- yet keeps hearing the laughter. Finally turns again -- watches these AUDIENCE MEMBERS watching... 

映画の中の観客たちが笑うと、マニーの周りにいる観客たちも笑う。マニーの目に涙が溜まり、遂にマニーは泣き始める。あんまりだ。認識のショックだ。まるで鏡を見ているようだ。マニーは座ったまま号泣するが、笑い声はまだ聞こえてくる。ついにマニーはまた振り返る-観客が笑っているのを観ていると…

 

Their delight hits him. There’s something simply inescapable about their joy. They look giddy, transported -- on cloud nine...

観客たちの喜びが、マニーの心を打つ。観客たちの喜びには、偏に逃れられない何かがある。彼らはまるで有頂天で、雲の上にいるようだ…

 

(中略)

 

His still-watery eyes turning from the audience around him and locking once again onto the screen. The anger has gone now, has turned into something else... Glistening now through the residual moisture in those eyes is some strange alchemy -- of heartbreak, joy, regret, pride -- and sheer incredulity at the madness of it all... We hear Gene Kelly begin to SING that familiar refrain...

マニーの潤った瞳は、周囲の観客から再びスクリーンに戻り、目が離せなくなる。怒りはもう消えてしまい、別の何かに変わっていた…傷心、喜び、公開、誇り、そして狂気へのねじれた懐疑心といった奇妙な錬金術により、目に残った潤いはキラキラとした輝きに変わっていた。我々はジーン・ケリーがお馴染みの一節を歌い始めるのが聴こえる。

 

GENE KELLY (CONT’D)
I’m singin’ in the rain, Just singin’ in the rain, What a glorious feelin’, I’m happy again...


...and, off Manny, watching, now the proverbial moviegoer...

…そして、カメラは映画を見ているマニーに移る。今や典型的な映画ファンとなったマニーに。

 

 ということで、チャゼルの正解は「怒り」でしたね!最初は怒りで泣いていたのが、周りの観客が映画に魅了されていることに気づき、マニー自身が映画への愛を取り戻す、というのがラストの解釈のようです。映画を見ているだけじゃ分かりませんが、マニーは『雨に唄えば』がきっかけで我々と同じような映画館通い(moviegoer)になるんですね、訳していてジーンときちゃいました。

 

 もう一つ、脚本を読んでいて面白いと思ったのは、あの怒涛のモンタージュは脚本には一切書かれていないんですね!脚本通りのエンディングに満足しなかったチャゼルは、編集のトニー・クロスとスタジオに相談して、アレが出来上がったそうです。流石「ラストに観客の予想斜め上をいく壮大な仕掛けを用意しないと死んでしまう病」!

 

 

 ところで、余談なんですが、今「Babylon Ending」と検索すると、いろんな映画ファンが自分の映画史に則った己の『バビロン』エンディングを勝手に編集してあげているので、おすすめですよ!

 

 

*1:というか、日本だとノーランとチャゼルとジョーダン・ピールの作品は毎回賛否を呼んでますね…。

*2:実は僕、『雨に唄えば』観てなかったので、最後のシーンを観るまで本作が『雨に唄えば』を準えていたことに気が付かなかったんですよね。Amazon Primeで見つけたので、近いうちに観たいと思います

*3:僕が去年海外作品の現場に参加した時もそうだったんですけど、ハリウッドの脚本の改訂稿って第二版とか第三版とかじゃなくて、ホワイト稿、ブルー稿、みたいに改訂するたびに色がつくんですよね。意味がわかりません。ちなみに、グリーン稿は2021年7月6日に書き上がった第5稿