『レザボア・ドッグス』を再見してビックリした話。

 『レザボア・ドッグス』を久しぶりに見返して、相変わらず面白い映画でなんなら僕は『パルプ・フィクション』よりも『レザボア』が好きで、タランティーノ作品の中でも未だに上位に来るレベルで好きなんですが、Nワードの多さにビックリしましたね。もちろん、タランティーノの映画にNワードが出てくるのは今に始まったことではないのですが、他の作品と違って『レザボア』にはMr.オレンジの上司ホーダウェイ刑事くらいしか黒人のキャラクターがおらず、彼自身はNワードは(確か)発していないし、ドッグス達が何気ない会話の中で、全部黒人への侮蔑語として出てきます。

 

 ただですね、『レザボア』に出てくるキャラクターたちは全員が悪人でならずものなので、彼らに黒人への差別意識があってもおかしくはないです。そして、このキャラクター達の差別意識≠制作者の差別意識なので、ここは分けて考えないといけないのですが、そうは言っても90年代よりもずっとポリティカル・コレクトネスが広まった現代に『レザボア』みたいな映画が作られるのは考えにくいですね。

 

 こういう話をすると、「だから現在の映画はポリコレが〜」とか言い出す輩がいるんですが、僕は全くそういう話をしていなくて、単純に記憶よりも『レザボア』にNワードが出てきたのに驚いた、という話をしています。タランティーノのNワードの頻用にはスパイク・リーも苦言を呈していますからね。ただ、現代の視点から『レザボア』を批判するものでもありません。タランティーノを擁護したいわけでもありません。ただただ、ビックリした、というだけの話なので。困惑、という表現が一番正しいでしょうか。

 

 余談ですけど、最近僕の過去の記事を引用して「だからポリコレが〜」とかいう人をTwitterで見かけるのが多くて本当に嫌になるんですよ。僕は一度だってポリコレ批判をしたことはないですし、政治的正しさは大事だと思いますし、ただ政治的正しさはその表現が使われている「文脈」をよく見極めないといけない、というスタンスは一環として変わっていません。引用する際はそこんところよろしく!