葛藤不足なのでは?/『イン・ザ・ハイツ』★★☆

 ブロードウェイの人気ミュージカルを映画化した『イン・ザ・ハイツ』を鑑賞。監督は『クレイジー・リッチ!』のジョン・M・チュウ、製作は舞台版の原作者であるリン・マニュエル=ミランダとキアラ・アレグリア・ヒュデス、ヒュデスは脚本も手がける。主演は アンソニー・ラモス、共演にコーリー・ホーキンズ、レスリー・グレイス、メリッサ・バレラら。

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  世間的に絶賛されている映画が、自分にあまり合わなかった時の気まずさったらない。しかも、どっからどう見てもダメな映画ならまだしも、こういう良作ほど「どこが合わなかったのか」と聞かれたって、うまく説明できないのももどかしい。確かに、ラテン文化をフィーチャーしたミュージカルはパワフルで、見ているだけで高揚感に溢れるけれど、それはこの映画が、というより、元々の舞台版が持っていたパワーではないか?という疑念が拭えない。

 

 題材的に僕が好みそうな『イン・ザ・ハイツ』が、何故ここまで僕に刺さらなかったんだろうかと、眠たい目を擦りながらこのブログで書くことを考えているうちに、一つのことに気がついた。この映画、主人公ウスナビの「葛藤」が薄いんじゃないだろうか?

 

 彼の周りの登場人物を先に考えたい。ウスナビが妹のように可愛がっているニーナは、名門スタンフォード大学からワシントン・ハイツに帰ってくる。彼女は近所で初めての大学入学者となり、周囲の期待を背負う一方で、大学でヒスパニック系への偏見の目に晒され、地元と大学の双方のプレッシャーに悩まされている。

 

 ウスナビが想いを寄せているヴァネッサはデザイナーを夢見ており、ワシントン・ハイツを飛び出してダウンタウンに住みたいと考えているが、家賃が高く、さらに彼女もヒスパニック系ゆえに審査が降りずに苦労している。ネイリストとして日銭を稼ぐが、夢への実現に焦る彼女の目は虚だ。

 

 そして、ウスナビが面倒を見ている従兄弟のソニーは、不法移民の子であり、いわゆるドリーマーである。NYの街を心地よく思っているが、自分には不法移民であるために大学に行けないことを知って絶望する。余談ではあるが、僕の留学時代の親友もDACA*1のメキシコ人で、彼はアメリカを一度出てしまうと二度と慣れ親しんだアメリカに帰ってこれないことを淋しく語っていた。

 

 『イン・ザ・ハイツ』が2時間20分の長尺で語るのは、ワシントン・ハイツに住む濃密な住民たちのドラマや葛藤である。さあ、ここで主人公ウスナビが映画を動かすための動機を見てみよう。彼はドミニカ共和国にある亡き父のお店を取り戻し、そこで商売をすることをスエニトス(小さな夢)としている。

 

 が、ウスナビは近隣中から好かれている好青年で、周囲を人助けをすることはあっても、彼自身が他の三人同様にアメリカ社会で偏見や差別などの辛い目にあっている描写はあまり見られないし、アメリカでの生活を捨ててまでドミニカに行きたい理由もあまり納得させられるものではない。*2そしてドミニカに強い憧れを抱いていた割には、彼の決断にも納得できないものがあり、さらに映画が構成として観客に仕掛けていた「ミスリード」もズルいものを感じた。

 

 さて、舞台版を見ていないので単純な比較をすることは不可能だが、Wikipediaを読んでみると、ウスナビが運営するコンビニが停電の日に暴動の被害に遭っていたり、様々な出来事がオミットされていたようだ。一方で、DACAの要素などは映画のために脚色されたエピソードで、こうしてうまく行っている部分もあるので、ウスナビのドラマをもう少し盛り上げてくれれば良かった。

 

 が、いろいろ偉そうなことを書いたけれども、開始1時間で尿意との戦いに意識が移行していた、というのはあるかもしれない。皆さん、ギリギリの時間で映画館に行くのはやめて、余裕を持って行動して長い映画の前は水分を断ちましょう。

 

 

*1:オバマ政権時に導入された「若年移民に対する国外強制退去の延期措置(Deferred Action for Childhood Arrivals)」

*2:ここで書いていて気がついたのは、この部分に僕がどうしても引っかかってしまうのは、僕自身が憧れていたアメリカを追い出された身だから、というのは関係しているのかもしれない。わざわざ経済的リスクを冒してまでアメリカを捨てるウスナビに共感できないのだ