言語とパーソナリティ

 ふと思うのだけれども、最近僕は1日において日本語よりも英語を使っている時間のほうがひょっとして長いんじゃなかろうか。7月から参加している現場は海外作品なので英語が飛び交っているし、家での彼女との会話も英語だ。夢だって時たま英語で見てしまう始末だ。アメリカに住んでいた時ですら、会社は日系だったので社内では日本語を使ってたし、友達も日本人ばかりでプライベートは基本日本語で過ごしていたので、実は今が人生で一番英語に囲まれているかもしれない。

 

 そして僕は英語を話している時の方が楽しい。というのも、日本語を話している時はちょっと内向的になってしまい、特に初めましての相手にはシャイで人見知りになってしまうのだが、英語で会話する時はズカズカと相手と会話ができる。使用している言語によって性格が大きく変わってしまうのだ。

 

 分析するに、これは多分日本語の敬語に因るところは大きいかもしれない。よく知らない相手や年上の人にはついつい敬語で話してしまうが、敬語には心理的距離感が伴う。英語も丁寧な言葉遣いなどはあるけれど、相手が年上だろうが身分が上だろうがあくまで対等な言葉使いができる。

 

 もちろん、日英話者が全員僕と同じような言語二重人格な訳ではないだろうし、自分の得意な方の言語が日本語なのか英語なのかにも異なってくるだろう。*1この辺は他のバイリンガルの人にも体験談を聞いてみたいところだ。また、今後頑張って中国語を話せるようになろうと思うが、中国語を話す自分はどういう人格に変わるのか、ちょっと会うのが楽しみだな。

 

スプリット (字幕版)

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  • ジェームズ・マカヴォイ
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*1:ちなみに僕は日本語