スパヰダーマン新劇場版:破/『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』★★★

 ソニー・ピクチャーズ・アニメーションが手掛ける『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』を鑑賞。監督はホアキンドス・サントス、ケンプ・パワーズジャスティン・K・トンプソンのトリオ、脚本と製作を前作同様フィル・ロード&クリストファー・ミラーが、製作総指揮を他のソニー製マーベル映画同様エイミー・パスカルアヴィ・アラドが手掛ける。声の出演は前作同様    シャメイク・ムーア、ジェイク・ジョンソン、ヘイリー・スタインフェルドマハーシャラ・アリ、ブライアン・タイリー・ヘンリー他、ミゲル・オハラ=スパイダーマン2099の声をオスカー・アイザックが務める。

 素晴らしかった。あまりよくない言い方であるのは承知だが、前日面白く観れたはずの『ザ・フラッシュ』が軽い前座に思えてしまうくらい、『アクロス・ザ・スパイダーバース』は大傑作だった。さすが昨今の娯楽映画のトレンドになりつつあるマルチバースを導入した先駆者なだけあって、マルチバースの扱い方が他作品の一歩も二歩も先に行っている。

 

 昨日観た『ザ・フラッシュ』もそうだったが、大体のマルチバース映画は世界の秩序を乱すことを否定的に描いてきた。『ザ・フラッシュ』は過去を変えようとして招いた混乱を元に戻す話だった。MCUの方の『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』もマルチバースを乱した代償としてピーターは多大な犠牲を払ったし、『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』は息子への愛のためにマルチバースを利用したスカーレット・ウィッチをヴィランに転向させた。非アメコミ映画の『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』だって、別次元の人生よりも今生きている日常の素晴らしさを説く。

 

 要するにマルチバース映画は運命論的な映画*1ばかりなのだが、『アクロス・ザ・スパイダーバース』でマイルズ・モラリスはスパイダーマン故に定められた運命へ中指を立てる。劇中マイルズが他者に決められた物語ではなく、自らの手で物語を作る決意を叫ぶシーンには深い感動を覚えてしまった。マイルズは世界の秩序の破壊者ではあるが、本作はその存在をポジティブに受け入れる。

 

 鑑賞後にこのカタルシスが何に似ているか考えていたところ、思いついたのは『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』だった。なぜ僕が新劇場版シリーズの中でも『破』が好きだったかというと、タイトル通りエヴァの定められた物語をシンジくんが「破」る映画だったからだ。TVアニメシリーズと同じ軌跡を歩みかけていたシンジくんが、誰かのためではなく、自分自身の願いのために綾波を救い出すポジティブなクライマックスに多大に感動したのだった。

 

 ドラマが素晴らしいだけでなく、アニメ表現も革新的だった前作から遥かに進化していた。もはや完璧とも思える本作の数少ない欠点は、尺が長さを感じさせてしまうことと、(分かっていたけど)クリフハンガーで終わってしまうことだろうか。ミッドクレジットにあった『ビヨンド・ザ・スパイダーバース』に今から期待が高まるが、僕の願いは一つだけ。どうか『ビヨンド〜』が『Q』*2みたいになりませんように!

 

 

*1:多分こういう映画が多いのは、キリスト教の予定説に即しているからではないか

*2:僕は公開当時から『Q』が大嫌いで、先述したようについにポジティブ転向したシンジくんがまたウジウジ悩み出すからだ!これは退行だろ!と当時大激怒していたが、『シンエヴァンゲリオン劇場版:||』を観た後はいくぶんかやさしい気持ちで観れる。(まだ嫌いだけど!)