ノスタルジア・ポルノの魔の手がここにも…/『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』☆☆☆

 人気冒険活劇の最新作にして最終作の『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』を鑑賞。前作までの監督スピルバーグと製作ルーカスは製作総指揮として名前を残し、監督は『ローガン』『フォードVSフェラーリ』のジェームズ・マンゴールドにバトンタッチ、マンゴールドは脚本をジェズ&ジョン=ヘンリー・バターワースらと担当。これまでのシリーズ通りジョン・ウィリアムズが音楽を手がけ、キャスリーン・ケネディフランク・マーシャルが製作。主にこれまで通りハリソン・フォード、共演にフィーバー・ウォーラー=ブリッジ、アントニオ・バンデラスジョン・リス=デイヴィスマッツ・ミケルセンら。

※ネタバレしている上に、酷評しています。その上、僕の見方もかなり偏屈なのは自覚していますので、ネガティブなレビューが苦手な方は読まないでください。

 一つ前提としてフェアに書いておくと、僕は本作を冷静に観れない。VHS世代の僕にとって、『インディ・ジョーンズ』シリーズは『スター・ウォーズ』『バック・トゥ・ザ・フューチャー』『ジュラシック・パーク』などと同様、今日の僕という人間を形成する上で欠かせない映画だ。もはや初めて観た『インディ・ジョーンズ』の記憶なんてないし、どの作品を最初に観たかすらも覚えていない。それくらい『インディ・ジョーンズ』はもはや血肉の一部となっている。

 

 小学生時代の夢は古生物学者になって恐竜を復活させることだった*1が、どうやらそれが無理らしいと悟ると考古学者になりたいと願った。だが、結局僕は歴史が好きじゃなくて映画が好きらしい、と気付いてから今のキャリアを歩んでいる訳だが、とにかくそれほど『インディ・ジョーンズ』から多大な影響を受けている*2。もちろん、今や問題作と名高い『クリスタルスカルの王国』だって、高校生の僕は「映画館で観たインディ!」というだけで年間ベスト級に大好きな映画だった。

 

 そんな僕が、スピルバーグもルーカスも離れてしまった『運命のダイヤル』に対して冷静に観れるわけがなかろう。すでに思い入れのあるシリーズがオリジナルクリエイターの手から離れたことでぶち壊される体験を『スター・ウォーズ』で味わっているので、本作の制作進捗のニュースを聞くたびに心中穏やかではなかった。何かの間違いで製作が中断されることを願っていたが、コロナすらも乗り越えて無事に作品は出来上がり、『運命のダイヤル』は公開に至ってしまった。

 

 とはいえ、淡い期待もあった。スピルバーグとルーカスが降りたとて、バトンを渡されたのはあのジェームズ・マンゴールドである。『ローガン』や『フォードVSフェラーリ』で手堅い手腕を見せてきた監督であり、どこぞのJJなんちゃらとは違うのだ。公開前の情報だけでブーブー文句を言っているのは僕だけで、いざ本編見てみたら僕が土下座したくなるくらい良い映画に仕上がっていて欲しい。そんな不安9割、期待1割の状態で映画館に思い足を運んだ。

 

 そんな精神不安定な状態で鑑賞した結果。はらわたが煮えくりかえって気がおかしくなるかと思った。怒りのあまり、いつも通い慣れているはずの映画館からの帰り道を間違えてしまったほどだ。結局『運命のダイヤル』も『スター・ウォーズ』新三部作『ゴーストバスターズ/アフターライフ』のように、ノスタルジア・ポルノの魔の手からは逃れられなかった。

 

 まず往年のパラマウントロゴからわざと外したオープニングから腹立たしいのだが、最新のVFXを駆使した若返りインディからしノスタルジア・ポルノの象徴で呆れ返った*3。確かに見た目こそ「ファンが見たかった」時代のインディなのだが、声は年老いたハリソン・フォードのもので、人造人間のような気持ちの悪さを残す。そして「あなたたちが見たかったものはこれでしょう!」と言わんばかりに1944年パートをじっくりネットリ長く映し、そのくせ合成の違和感を目立たなくするためか夜を舞台とし画面は暗く見辛い。

 

 正直に告白すると、老齢インディに場面が切り替わってからは『インディ・ジョーンズ』の新作として面白く観れた部分はある。さすがジェームズ・マンゴールドでありスピルバーグの演出を研究しており、よく模倣できている。が、結局模倣は模倣でしかなく、マリオンとショート・ラウンドの二番煎じのようなキャラクターが登場し、新キャラクターはなんの掘り下げもないまま死んでいく。マンゴールド持ち前の手堅い演出で安定こそしているが、スピルバーグならではのギョッとするような残酷ギャグがなく、見た目だけ似ていて本質が異なる人工肉のよう。劇中冒頭、とある聖遺物がコピー品だったという展開を見せるが、まるで本作のようだと冷たく笑って観ていた。

 

 ここまでは百歩許して観たとして(許さないけど)、僕が何よりも腹が立ったのは「運命のダイヤル」という反則もいいところのマクガフィンである。我々はインディと共に様々な怪奇現象だって目撃してきたし、なんなら宇宙人やUFOだって体験してきたのだ。今更何を観たって驚かないと思っていたが、だからって仮にも考古学を題材としたシリーズにタイムトラベルを導入しちゃいかんでしょ!

 

 歴史というものを大事に扱ってきたシリーズなはずなのに*4、ナチが空からローマ兵を乱射したり飛行機墜落させている時点でドク・ブラウンがデロリアンで轢き殺すレベルの時空改変になっているはずだ。シチリア包囲戦の中で飛行機が飛んでいる絵面も核爆弾に冷蔵庫やアステカのピラミッドからUFOが登場するのと変わりないくらい滑稽で、真剣に観るのが馬鹿馬鹿しい。

 

 また、インディが「ここに残りたい」とか言い出すのは意味不明で、これまでシリーズに登場しなかった古代ギリシアの時代に執着するのは理解ができない。千歩譲って(譲らないけど)あそこは息子を失い妻とも別れて悲しみに暮れるインディが現世に戻りたくないことを表した描写だとしても、それこそ僕はそもそもマットを戦争で殺したことに納得がいっていない。

 

 『クリスタルスカルの王国』は問題が多かった映画だったとしても、インディが老いを実感し時代から取り残されつつも、考古学者として躍動している様子を見せていたので本作で同じことを描くのは不要だし、新しく家族を得て老いてなお成長した多幸感極まりないラストを描いていたのに、更に老いて不幸なインディを見せて彼の人生の顛末をわざわざ語り直す必要がどこにあったのか*5。おそらく昨今のトレンドの有毒な男性性の解体に則ったものだろうが、しみったれたインディが観たかったかというと別に観たくないし、本作の要素としてもうまく機能していない。

 

 ちなみに本作鑑賞後、怒りが収まらなかった僕はスピルバーグ印のインディのどこが良かったか再確認するために、あえて『クリスタルスカルの王国』を久しぶりに見返したのだが、まずインディ・ジョーンズの初登場シーンをシルエットで写して観客をアガらせるカットに鳥肌がたった。(下記0:43〜)

 

 既に『クリスタルスカルの王国』の時点で『最後の聖戦』から19年経っていたが、インディその人を直接映さなくても我々の愛するヒーローが帰ってきたことを分からせるスピルバーグの手腕が冴え渡っているシーンだ。映画の神様と比較されてしまうジェームズ・マンゴールドもかわいそうだが、それにしたってVFXで若返らせたインディを工夫なくドヤッ!と登場させる『運命のダイヤル』の工夫のなさとは大違いである。*6

 

 なお、『運命のダイヤル』にも僕がグッときたシーンはあり、それはもちろんマリオンが最後に登場して『レイダース』のロマンスシーンを再現した場面だ。往年シリーズを観てきた人なら泣いてもおかしくないシーンだが、よくよく考えるとあの感動は『レイダース』という超面白い映画が存在しているからこそ得られるものであって、『運命のダイヤル』が新しく生んだものは何もない。

 

 だが、僕はジェームズ・マンゴールドを責める気はなく、むしろ彼は被害者だとすら思っている。真の悪はスピルバーグがおりてもこの企画を続行させ、それこそ「運命のダイヤル」がごとく、いつまでも過去の名作に囚われてノスタルジア・ポルノの再生産を試み続ける、ディズニーとルーカスフィルムの重役どもだ。『レイダース』のクライマックスみたいに、顔面が溶けて爆発してくれないかな!!!

 

 

*1:大マジ。中学受験の面接で大真面目に語って呆れられたくらいマジ。死んだじいちゃんには泣いて笑うほどバカにされてしまい、本気で悔しかった。なお、僕は中学1年生までサンタを信じていた割とファンタジックな少年だった。

*2:そういや高校生の時ディズニーシーのショップでインディのフェデラー帽を親に買ってもらって恥ずかしげもなくプライベートで被っていたし、YouTube配信で僕をみたことがある人ならわかると思うが、僕が毎日トロントラプターズのキャップを仕事場でも私生活でも自分のトレードマークのように被っているのは、思い返せば『インディ・ジョーンズ』の影響が強いのかもしれない

*3:なお、いまハリウッドで起きているSGA-AFTRAストライキの一因として、俳優の肖像権がデータスキャンによりAIに取って代わられ会社の所有物になる危険性が訴えられているが、『運命のダイヤル』の冒頭シークエンスはまさにそのおぞましさが詰まっていたと思う。

*4:インディが敵から逃れるためとはいえ、ためらいなく古代の貴重品が並ぶ棚を倒すシーンは絶句した。

*5:この辺、『ジェダイの帰還』でめでたく終わってればいいものを、わざわざハン・ソロを殺して台無しにした『フォースの覚醒』とよく似ている

*6:実際、『クリスタルスカルの王国』はクライマックスこそウルトラCだが、定番やお約束こそは守っているものの、全編これまで観たことがないアクションや工夫をなるべく見せようというスピルバーグやルーカスの苦心は感じられる出来で、だからこその悪名高い宇宙人オチに至ったとも言える。