和製スピルバーグ映画を観れた喜び/『ゴジラ-1.0』★★★

 『ゴジラ』シリーズ最新作にして70周年記念作品『ゴジラ-1.0』を鑑賞。監督、脚本、VFXを手掛けるのは『ALWAYS 三丁目の夕日』『永遠の0』『アルキメデスの海戦』の山崎貴、音楽は佐藤直紀。主演に神木隆之介、共演に浜辺美波山田裕貴青木崇高吉岡秀隆安藤サクラ佐々木蔵之介ら。

 

 

 当ブログでは満点表記の★★★だが、完璧な映画ではないことは最初に明記しておきたい。特に人間ドラマ部分の泣いたり叫んだりする寒い演出、陳腐なセリフ*1回しや説明的なセリフ*2は邦画でこれまで何百回、何千回と見てきた怠慢な脚本で、邦画の悪い部分は如実に出ている。『シン・ゴジラ』がそういった要素を徹底的に排した傑作だった分、本作では余計に目立つ。

 

 が、それでも僕が『ゴジラ-1.0』を全面的に擁護したいのは、ついに邦画でハリウッド映画と比べても遜色のないスペクタル映像を見れたことに大きな喜びを感じたからだ。もっというと、和製スピルバーグ映画を見れたという感動が大きい。冒頭で人をバクバク食べるゴジラ*3は『ジュラシック・パーク』だったし、ゴジラとの海洋戦は『ジョーズ』で、銀座での圧倒的な絶望感は『宇宙戦争』だった。*4

 

 特に僕は銀座でのゴジラ襲来の場面は、戦後の日本を絶望へと陥れるゴジラへの畏怖の念から泣いてしまった。いつも隣の韓国や中国でスケールの大きい映画が作られる度に「なぜ本邦でこれができないのか…」とヤキモキしていたが、ついにハリウッド作品と並べても恥ずかしくない日がやってきたのだ。

 

 ちなみに、『ゴジラ-1.0』鑑賞中にどうしても脳裏をよぎってしまうのは『シン・ゴジラ』だった。『シン・ゴジラ』が官僚の映画だとしたら、『ゴジラ-1.0』は人民にフォーカスを当てた映画だ。ゴジラ映画として反則技を使いつつも2010年代を代表する傑作に仕上げてしまった『シン・ゴジラ』に対抗するとしたら、『ゴジラ-1.0』は『シン・ゴジラ』が徹底的に排除した人間ドラマを盛りだくさんに描かざるを得なかったのだろう。

 

 それ故にだろうが、元々人間ドラマの描写が上手くない山崎貴作品だけにドラマ部分の稚拙さが浮き立ってしまったのも事実。が、シリーズで初めて初代『ゴジラ』よりも前の時代を描いた『ゴジラ-1.0』は戦時中に国家から消耗品として扱われた人民が、今度は己の意思で立ち上がるのは胸にグッとくるものがある。本当に未来のための戦いのためならば、命を粗末にすることはしない。絶望的に強いゴジラが相手なだけに、この倫理観の塩梅がとても良かった。

 

 そもそも、『シン・ゴジラ』が高すぎるハードルを設定してしまったために、今後バトンを渡される製作陣が可哀想でならなかった。番外編のNetflix版アニメ映画シリーズにしても、レジェンダリー製のモンスター・ヴァースにしたって、『シン・ゴジラ』の前では物足りなさを感じてしまう。しかし、『ゴジラ-1.0』はその高い期待に応えてくれた。それだけで多少の瑕疵には目をつぶれるし、賞賛に値する傑作だと思う*5。なるべく大きいスクリーンで観て!

 

 

*1:特に、台湾人の嫁さんが「セリフがクサいのがしんどかった」と言っていたので、相当クサいのだろう…

*2:特に「米国はソ連を刺激しないために軍事介入しない」という説明は3回くらいするのでちょっとイラッとした。

*3:まあ、正確には食ってないんだけど。いいんだ、そんな事は!

*4:ビジュアル的に山崎貴監督はスピルバーグ映画は確実に意識していると思う。なお、もう一人スピルバーグ映画を意識したゴジラ監督がいて、それが2014年版『GODZILLA』を撮ったギャレス・エドワーズだった。なお、スピルバーグ本人は『ジュラシック・パーク』や『ロスト・ワールド』でゴジラを意識していた。ゴジラ映画はスピルバーグと繋がる不思議。

*5:しかもそれが『STAND BY ME ドラえもん』などでお馴染みの山崎貴監督から出たとなれば尚のこと!