帰国子女、あるいはハーフの人なら誰にでも共感してもらえると思うが、僕は中学・高校の英語の授業で当てられると、わざと日本語訛りで英語を話していた。和を乱さず、静かでおとなしいことが良いとされる日本社会において、ネイティブ訛りの英語で話してしまうと「カッコつけている」とからかわれてしまうからだ。なるべく目立たないように、英語ができないフリをして学生生活をやり過ごしていた。
アメリカの小学校にいた頃の自分はもっとハツラツとしていたはずだった。授業中でもなるべく自主的に発言することが良しとされていて、僕なんかは先生が一度説明したはずの内容を何度も質問して怒られるほど手を挙げていた。が、小五で日本に帰ってくると、授業中に協調性を乱すと先生にも注意されるし、友達からも邪険に扱われるとなんとなく学んでしまったので、いつの間にか「常識的に」静かな人間になっていた。
大学を卒業してもう一度アメリカに渡ったものの、今度はアメリカの大学で苦労した。授業中でも周りの生徒たちがどんどん質問する中、僕は自分の意見を押し殺した。見事に日本式に矯正されてしまったのだ。お陰で教授にも何度も講義についていけているのか心配されたし、時には成績に響くこともあった。
今の自分のアイデンティティは「中途半端に日本人」だと認識している。この島国社会が窮屈で仕方がない一方で、欧米人みたいに進んで前に出れない。特にそんな自分の性格が邪魔をするのは、バイリンガルの撮影現場で仕事をしている時だ。年上も年下のクルーも関係なくフレンドリーに接してくれようとしてくれているのに、どうしたって敬語で壁を作ってしまう。一回A.T.フィールドを壊すプロセスを経ないと、自分は人と仲良くなれない。
なんでこんなことを今更書いているのかと言うと、今日はそのバイリンガルの現場で仲良くなったスタッフの結婚式の2次会に参加したからだ。アメリカ式の立食パーティーで、皆気兼ねなく喋っているのに、自分は隅っこの方で嫁さんと固まって座っている。頑張って人と喋ろうにも人見知りが発動しちゃって緊張しちゃうし、なんなら新郎もずっと彼の友達といるので、彼を祝いに来たはずなのにまともに話しかけることもできなかった。一番ホッとしたのは、パーティーの閉会が宣言された時。こう言う時、日本人としての自分を呪うのである。