倫理観が狂ってるよ!/『エクスペンダブルズ ニューブラッド』★☆☆

 人気アクションシリーズ最新作『エクスペンダブルズ ニューブラッド』を鑑賞。監督は『ニード・フォー・スピード』のスコット・ウォー、脚本はスペンサー・コーエン
カート・ウィマー、タッド・ダッガーハート。主役はスタローンからジェイソン・ステイサムに代わり、共演にシルヴェスター・スタローン、カーティス・“50セント”・ジャクソン、ミーガン・フォックスドルフ・ラングレントニー・ジャー、イコ・ウワイス、ランディ・クートゥアアンディ・ガルシアら。

 2010年に始まった、古今東西のアクションスターを集めたアンサブル映画『エクスペンダブル』シリーズももう4作目。シリーズ1作目からストーリーというより、アクションスターたちの夢の共演を頭空っぽにして楽しめる愉快なシリーズで、今回も期待値を低くして楽しんで劇場に足を運んだ(なんたって、日本語版ポスターのキャッチコピーが【脳ストップアクション】なのだ!!)のだが、あまりにも倫理的に看過できない作品となっていて上映後頭を抱えてしまった。

 

 もちろん、消耗品軍団に品行方正さはもとめていないが、少なくとも一般人の命まで消耗し始めたら気持ちいものではない。冒頭、バーニー(シルベスター・スタローン)は賭けに負けて奪われた指輪を取り戻すためにクリスマス(ジェイソン・ステイサム)と共にバーへ訪れ、腰痛を持つバーニーの代わりにクリスマスが野郎どもをうちのめす。

 

 このシーンは、シリーズのタスキを老いたバーニーからクリスマスへ受け渡されることを仄めかす意図がある。しかし、そもそも大事な指輪を賭けて負けたバーニーが悪いのであり、バーでボコボコにされるギャングたちが可哀想でならない。ちなみに、このギャングにはエンディングでトンデモないオチ*1がついており、幸せそうに笑うエクスペンダブルズと何も悪いことをしていない彼らへの仕打ちの対比が残酷すぎて引いてしまった。

 

 倫理観がおかしいと言えば、時代を反映して女性をリーダーにしておけばいい、というテキトーなPC観も気になった。劇中、任務に失敗したエクスペンダブルズの指揮権がジーン(ミーガン・フォックス)が渡るくだりがあるが、これを60も超えた頑固な爺さん傭兵たちが黙ってすんなり受け入れるとは思えない。例えば、トール・ロード(ドルフ・ラングレン)やガンナー・ヤンセンドルフ・ラングレン)などがジーンに反発し、ナメた口をきいたりしていたら、ジーンが圧倒的な実力や有能さを見せつけて爺さん達が自分たちの差別的な態度を反省し、クライマックスで気持ちよく共闘する、なんて展開があればもっと啓発的だし燃えるじゃないか。

 

 しかも、本作でせっかく女性キャラクターたちを投入しているのに、ジーンに与えられた役割も一時的な代わりのリーダー以上以下の何者でもなく、キャラクターとして描き込みが足りないので何故彼女が唐突にリーダーとして選ばれたのかも分からない。主な見せ場も結局は元彼のクリスマスが奪っていく訳で、あまりにも扱いがもったいない。

 

 これは本作に限らず、昨今のハリウッド映画の悪い癖だと思う。つまり、劇中にマイノリティを加えれば政治的に正しく、問題がなくなると製作陣が無思考で作っている。僕は「ポリコレ」という安易なワードを使って映画を批判する人たちの評や感想は一切信用しないが、確かに映画を作る側も「炎上すると面倒だから」「そういう時代だから」くらいなテキトーさでポリティカル・コレクトネスを導入しているために、叩く隙を与えている問題点もある。このブログで何度も書いているけれど、ポリティカル・コレクトネスは文脈が大事なのだ。

 

 本当は仮にも核爆弾を積んだタンカーの上でバカスカ手榴弾爆発させる雑で大味なアクション楽しみたかったんだけど、どうも【脳ストップ】で受け入れることができなかった。でも、一番大きいのは前3作にあった「お祭り感」が薄れてしまったことじゃないかね。せっかくトニー・ジャーやイコ・ウワイスまで加えているのに、なんか全体的にパッとしなかったんだもの…。

 

 

*1:あと、軽いネタバレになるが、スタローンが本シリーズから引退する意思を示した上で作られた本作なのだが、その覚悟に比べてこのオチはあまりにも甘くて残念だった。