この間実家に用があって立ち寄ったのだけれども、その際に手塚治虫の『アドルフに告ぐ』を回収した。学生時代に一度読んだことがあるが、昨年のガザ侵攻以来ずっと読み返したかったのだ。最初に読んだ時も感動した記憶があるが、物語も作画もあまりにも緻密な傑作で、この2日間で文庫本全四巻を読み切ってしまった。
1928年生まれの手塚が描く戦時下の神戸はとてつもなく生々しい。物語が始まる30年代はまだ日本もまだ裕福であったが、軍部の権力が増し戦争の足音が大きくなると共に思想弾圧が激しくなり、市民の生活も困窮していく。
リサーチもかなり綿密に行っているのであろう、ナチス政権下におけるドイツの状況も本当に手塚が当時住んでいたんじゃ無いかというくらい鮮明だ。メインテーマのナチスによるホロコーストだけでなく、特高警察による赤狩り、南京大虐殺、関東大震災での朝鮮人虐殺、原爆投下など、日本やアメリカが起こした非道も描かれており、手塚は人類の業を炙り出そうとしているように見える。
なんといっても、か弱く無垢で優しい少年だったアドルフ・カウフマンがAHSの洗脳教育を受けて、冷酷なSSに変貌していく様子を手塚は2年かけてじっくり丹念に描いた。故に、読者としては余計にもどかしく、親友だったユダヤ人のアドルフ・カミルとの友情が拗れていく様は読んでいて大変辛い。
そして手塚がやはりストーリーテラーとして非凡だったのは、この物語を第二次大戦化の悲劇で終わらせず、現代のイスラエルまで紡いだことである。どの国にも居場所がなく邪険に扱われていたユダヤ人たちが念願の祖国を手に入れたかと思えば、今度は自らが圧政する側に回ってパレスチナ人たちを虐殺する。各々が勝手に掲げる「正義」というものが如何に空虚なものか、手塚はそこまで描く。
手塚治虫が『アドルフに告ぐ』の連載を終えたのは1985年だそうだ。『アドルフに告ぐ』の最終章を改めて読んで、40年近く経って現状が全く変わっていないばかりか、悪化していることに心を痛めた。最後に峠草平の台詞を引用したい。
やがて世界中の何千万の人間が…正義ってものの正体を少しばかり考えてくれりゃいいと思いましてね…つまんない望みですが